青森県上北郡七戸町字町7-2
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ブログ

ノイズ

2021/02/01
 安眠グッズにホワイトノイズマシンというものがあります。水の流れる音や扇風機の音、時計の秒針の音など日常生活でよく聞く、一定のリズムで流れる音が様々収録されており、その音に意識を向けることで考え事をして眠れない人は考え事から離れられたり、騒音が気になって寝られない人は気になる騒音から意識が離れることができるというものです。私自身は、毎晩3分で寝ていると家族から言われているのですが、どうも私自身が騒音を発しているようなので、購入してみることにしました。収録されている中で、私が一番気に入ったのは遠くで雷の鳴っている音です。3分から2分へと寝るまでの時間が短縮したため、さらに家族に迷惑をかけているかと思いきや、家族も機械から発する音に意識が向き、これまでよりは寝入りが良くなったとのことです。この機械は睡眠の時だけでなく、気持ちを落ち着けたい時や気分転換したい時にも使えそうで、良い買い物が出来たなとちょっと嬉しくなる出来事でした。
  さて、2月の徳目は「禅定静寂(ぜんじょうせいじゃく)」、「よく考え、落ち着いた暮らしをしよう」です。落ち着かない日々が続いておりますが、だからこそ落ち着く環境を自ら作る必要があると思います。あれこれ考えてしまう無限ループや周囲の騒音から意識を外し、ぼーっとする時間を作ることによってメリハリがつき、よく考え落ち着いた暮らしが出来るのだと思います。
  オチのない話ですが「おちつく」話ということで…。
※商品の感想はあくまで個人的なものであり、効果を保証するものではありません。(2021.1)

スマイル

2020/12/28
 【いつでもスマイルしててね 完璧なんかでいられる訳がないだろう すぐスマイルするべきだ 子どもじゃないならね】ホフディランの「スマイル」という曲の一節です。最近ではポカリスエットのCMでも流れています。今年は本当に先の読めない一年でした。そして、何が正しくて、何が間違っているのかもわからず、右往左往して疑心暗鬼になってしまいそうな年でもありました。そんな中でも、職員や保護者の皆様、そして子どもたちの笑顔に救われ、笑顔の大切さを改めて感じた一年でもありました。皆さんはいかがでしたでしょうか。
  さて、1月の徳目は「和顔愛語(わげんあいご)」、「柔らかい顔で、優しい言葉を」です。何一つ間違いのないものなどこの世には存在せず、難しい顔やきつい言葉を投げかけたところで、状況は好転しないことは誰もがわかっていることです。だからこそ「子どもじゃないならスマイルするべき」なのだと思います。それでも、自分の気持ちが収まらず、つい出てしまうこともあるでしょう。私自身本当の大人になるにはまだまだで、常にスマイルし続けることは難しいことでありはありますが、心に留めておきたい徳目であり、その都度気持ちを新たにしたいものです。
  これまでにない静かな年末年始になりそうです。高級ステーキで忘年会をしている方々もいらっしゃるようですが、それはそれとして、スマイルしながら家族ですてきな年越しをお迎え頂けたらと思います。…笑い飛ばすぐらいの器の大きさが欲しいものです。良いお年を。(2021.1)

青山 薪をくべる

2020/12/02
  先日より保育園の薪ストーブを使い始めました。昨年度より少しずつ、温度の上げ方や調節の仕方のコツをつかみかけています。まずは小さい薪を中心に燃やし一気に温度を上げると、大きな木が自ら発する煙自体も燃料となり燃え始めます。そうなると、こちらがあまり手をかけなくても温度はどんどん上昇し、目標の温度まで到達します。そして、ストーブ全体が温まると簡単には下がらなくなります。これが、途中心配になって薪をくべるタイミングを増やしてしまうと、薪ストーブの扉を何度も開けてしまうことで炉の温度が下がって、煙が燃える温度に達せず、むしろ薪を多くくべなくてはならなくなります。このように火の様子を見ながらくべるタイミングを試行錯誤しているうちに、ふと、子どもたちへの声かけの仕方に通じるものがあるなと感じました。
  子どもたちのやる気の炎を燃やすにはやはり褒めることが第一歩です。まずはたくさん褒め、温度を一気に上げます。そして声かけがなくても自分から動く習慣が身につき始めたら、褒める機会を調節する段階です。そうすることで、「褒められるために頑張る」「褒められなきゃ頑張らない」ではなく、「自ら意欲的に取り組む」へ変化していきます。褒めるはあくまできっかけであり、少しずつ自分の意思で行動できるようにすることが自立へと繋がっていくのだと思います。
  12月の徳目は「忍辱持久(にんにくじきゅう)」、「根気強く取り組もう」です。火の様子はまちまちであるように、子どものタイプも様々です。褒める回数やタイミングをどのように調節すべきかは根気強く子どもと向き合わなくてはなりませんが、一度軌道に乗ると子どもたちは驚くほど成長します。子どもたちの力を信じつつ、ただ待ったり、ご機嫌を伺ったりするのではなく、積極的に促す術を身につけていきたいものです。
  男性を褒める「さしすせそ」というものがあるそうです。「さすが!」「知らなかった!」「すごい!」「センスある!」「そうなんだ!」…きっと非常に燃費の良い薪になると思うので、是非ご利用ください。 (2020.12)

切り替えのススメ

2020/11/02
  現在、園では「切り替え」をテーマとした取り組みをしています。具体的な取り組みの1つに「部屋の出入り」があります。お気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、一度扉の前で立ち止まり、保育者が「どうぞ」と声をかけたり、進路方向へ手を差し出したりしてから部屋を出入りすることに取り組んでいます。これまで、お外から戻ってくる際や、プレイルームで遊ぶ際、遊ぶ事への興奮から勢いよく部屋を出入りすることで、お友達同士がぶつかったり、、自分の鞄を乱暴に取り上げたり、羽目を外してしまったりと、次の活動が雑なものやスムーズに進まないといったことがありました。しかし、現在の取り組みをすることで、子どもたちが意識的に体を止め、入退室の促しを注意深く待つようになり、気持ちの切り替えが出来るようになってきました。すももさんでも、目印のあるところで座ったり立ったりして順番を待つ取り組みを行っており、スムーズに活動が進む機会が増えてきました。そのため、園全体でこれまで以上にメリハリのある生活が送ることが出来るようになってきています。
  メリハリがつくと、すべきことがより明確になり、子どもたち自身で考え行動できるようになります。普段の生活の些細な「切り替え」の積み重ねが基本的生活習慣や自主自立の確立を促していくのだと思います。
  さて、11月の徳目は「精進努力(しょうじんどりょく)」、「最後までやり遂げよう」です。「最後までやり遂げる」と聞くと、「最後まで集中する」とイメージしがちですが、大人でも長い時間集中することは難しいものです。その都度気持ちを切り替えて取り組むことで、質の高い活動が継続でき、結果的に最後までやり通すことができるのだと思います。園での取り組みについてご理解くださいますよう宜しくお願い申し上げます。
  「切り替えよう」と思い、一つの仕事を途中で切り上げ他の仕事に取りかかると、前の仕事を忘れてそのままにしてしまう…そんな間違った切り替えで仕事に追われています…(2020.11)

感謝と恩返し

2020/10/05
  半沢ロスです。今回は、前回宿敵だった大和田常務と協力する場面がいくつもあり、しかもそれが絶妙なコミカル加減のため、胸が熱くなりながらも笑ってしまう演出に、前作以上に引き込まれてしまいました。
  「物事の是非は決断したときに決まるものではない。(中略)だからこそ、今自分が正しいと信じる選択をしなければならないと私は思う。」これは中野渡頭取が半沢直樹へ最後に伝えた言葉です。では、正しいと判断する手がかりとは一体どんなものなのでしょうか。先回取り上げたアドラーが、このような言葉を残しています。「判断に迷った時は、より大きな集団の利益を優先することだ。自分よりも仲間たち。仲間たちよりも社会全体。そうすれば判断を間違うことはないだろう。」半沢と宿敵だったキャラクターが味方になったかどうかは、「周りのことを考えているのか、自分の事しか考えていないのか」の差ではないかと思います。「自由」や「プライベート」など個の尊重が叫ばれる世の中で、このようなドラマが話題となり盛り上がりを見せるのは、自分の事だけではなく周囲のことも考える重要性を、私たちが心や頭のどこかで感じ、考えているからなのかもしれません。
  10月の徳目は「同時協力(どうじきょうりょく)」、「お互いに助け合おう」ということです。協力するということは、まず自分以外の誰かを思うこと、そのためには半沢の言う「感謝と恩返し」の気持ちを持つことが大切です。「滅私奉公」は極端ですが、自分のことより少し多めに他人のことを考える余裕を持ちたいものです。
  今回はこれでおしまい「です」。(2020.10)

自分を拠り所とする

2020/09/02
  世間一般的に「自由」という言葉は「自分のやりたいことをやる」という意味で遣われています。元々は仏教の言葉であり、ニュアンスも少し違っていて「心の自由」を指します。このように書くと、「やりたい」という思いを叶えるのだから、世間一般的な自由と同じではないかと考えてしまいます。しかし仏教では、これを「やりたい」という衝動に心が支配されている状態と考えます。特にこの衝動が強いと「やりたい」ことにしか目が向かなくなり、「やりたい」が叶わないと、悲しみや怒りといった負の感情が生まれ引きずるなど、「やりたい」という感情に縛られてしまい、心も体もむしろ不自由になってしまいます。そのため、衝動によって心が左右されず、どんな状況にも柔軟で前向きな気持ちで過ごすことが、自らを拠り所とした真の「自由」であると仏教では考えます。感情に支配されず、常に成長する姿勢を保てる心を持つことは、より人生を豊かに過ごすことにもつながっていきます。
  9月の徳目は「報恩感謝(ほうおんかんしゃ)」「あらゆることをありがたく感じよう」ということです。環境に左右されない心の自由があるからこそ、どんなことも有り難く感じられます。そしてこの自由は、子育てにおいても非常に重要です。「子どもを自由にさせる=好きなようにさせる」と考えがちですが、衝動に支配される時間を長く作ることにつながります。そして「好き」が叶わないと、かんしゃくをおこしたり意固地になったり、負の感情に支配されやすい状態を作り上げてしまうおそれもあります。私たちは一定のルールの下で周りと共存しているため、思い通りにいかないことも多くあります。その時に、衝動に支配されないよう気持ちを切り替える習慣を身につけさせることも必要であると感じます。
  結構感情に支配されがちな私の心は、こういった類いのものを読み頭を整理することで、心の安定を図っています…と、まだまだ自らを拠り所にできずにいます。(2020.9)

最も変えやすいのは自分

2020/08/01
  「どうしたらみんなを喜ばすことが出来るかを毎日考えるようにしなさい。そうすれば憂鬱な気持など吹き飛んでしまいます。反対に自分のことばかり考えていたら、どんどん不幸になってしまいます。」これはアルフレッド・アドラーという心理学者の言葉です。「人の育て方に迷ったときは、自分に質問するといい。『この体験を通じて、相手は何を学ぶだろうか?』と。そうすれば、必ず答えが見つかるだろう。」アドラー心理学には子育てのヒントになることも数多くあります。
  例えば、子どもが適切ではない行動をするとします。一般的には行動をやめさせようとするなどの反応があります。しかし、子どもがその行動をとる理由を「気をひきたいから」と考えるなら、「その適切ではない行動に注目しない」という対処をします。そして、適切な行動などに注目することで「気をひくための適切ではない行動」が減り、「適切な行動」が増えるとアドラー心理学では考えるそうです。相手はどんな目的でこの行動をとっているのかと相手の立場で考え、自分の行動を省みることで自分自身も楽になり相手にとっても好影響となる事例だと思います。
  8月の徳目は「自利利他(じりりた)」「自分を高め人に尽くそう」です。家庭ではともすれば、息子達が言うことを聞かないと「まったく…」と私自身思いがちです。しかし、視点を変えて考えてみると、私自身の対応が子どもの適切でない行動を助長していることに気づかされます。自分の行動を変化させることで相手のよりよい変化につなげることも自利利他の一つかもしれません。
 是非皆さんも、私の良い行動にたくさん反応し、そうではない行動には目をつぶってください!(2020.8)

目は口ほどにものを言う

2020/07/02
 仏教には「無財の七施」という、物やお金がなくても出来る7つのお布施があります。その七施の一番最初に記されているものに、優しい眼差しで接する方法のお布施、「眼施(げんせ)」があります。
  常にマスクをするべきではないかという議論が出始めた頃、保育園の性質上、「子どもたちが怖がるのではないか」「保育者の表情が見えないのは、子どもたちの成長にはマイナスではないか」という意見が全国的にありました。現在では日常的にマスクをするのが当たり前になりつつありますが、先日園にいらした業者さんから、ステーキ屋のシェフが着けていそうな透明のマスクを紹介されました。表情が見やすいなと感じた半面、頭の柔軟性に難がある私は「シェフ」のイメージに引っ張られ過ぎ、保育者がすることに少し違和感を覚えて購入を断念しました。
  しかし振り返ってみると、目で伝えることで子どもたちにもメリハリが伝わりやすいのかなと感じる場面が多くあります。先回もお伝えした通り、「言葉で伝える」とは視覚と聴覚共に刺激を与えることであり、場合によっては情報過多でむしろ伝わらなかったり興奮を増大させてしまったりすることもあります。視線や眼差しによって子どもたちに伝えることも大切であり、そのことを考える良い機会なのかもしれないと最近は感じています。
  7月の徳目は「布施奉仕(ふせほうし)」「誰にでも親切にしよう」ということです。「布施」から「眼施」に繋げましたが、親切の話は一切出てきていないように思われるかもしれません。しかし、つまりはメリハリがあるほうが子どもたちにも伝わりやすく親切だという事であり…と色々「言葉」を駆使してお送りしました。(2020.7)

吾唯足知(われ ただ たる を しる)

2020/05/29
 最初で最後かもしれない、ほとんど何もないゴールデンウィーク中、私は「ナスD」の動画を見て過ごしました。3月に「天空のヒマラヤの部族」という通称ナスDこと友寄隆英さんが取材したテレビ番組が放送されると、アマゾン部族を取材した過去の番組を改めて見たくなり、この機会に見ることにしました。1度目の時は、大学の時に東南アジアをバックパッカーとして1人旅した時のワクワクドキドキ感を思い出すのが楽しくて見ていましたが、改めて見た今回はまた別の思いを抱きました。
  アマゾンの部族が狩りや漁をする際には、必要な分だけを獲ったり、多く獲れた場合は必ず他におすそ分けをしたりする習慣があります。「欲張らず、現状に満足することを理解する」との意味をもつ「足るを知る」という言葉がありますが、アマゾンの部族はまさに「足るを知る」を体現した生活を送っています。「ものが豊かになりすぎると心が貧しくなる」とよく言われますが、今の自分はどうなのだろうと考えさせられました。
  6月の徳目は「生命尊重(せいめいそんちょう)」「命を大切にしよう」です。「足るを知る」は、時に「身の程をわきまえる」と解釈されてしまいますが、私は「その時その時を感謝する」というニュアンスで理解しています。その時その時を感謝することは、生きていることそのものを感謝することにつながります。つまり「足るを知る」ことは「命を大切にする」ことになると私は思います。ものに溢れ、欲しいものは大抵すぐに手に入る世の中で、「足るを知る」を実践することは非常に難しいことではありますが、心に留めておきたいものです。
  ゴールデンウィークの最終日、お昼ご飯を食べている時にほっぺの内側を噛んでしまいました。頭では分かっていても、胃はまだまだ足るを知らないようです…(2020.6)

我慢するということ

2020/04/30
 最近良く耳にする言葉に「我慢」があります。現在は「辛いことを耐え忍ぶ」という意味で遣われていますが、実はこの言葉、仏教用語であり、現在とは違う意味で遣われていました。
  「慢心」という言葉が示す通り、我慢の「慢」には「自惚れ(うぬぼれ)」という意味があります。つまり「我慢」はもともとは、「自分自身に固執する」「我を押し通す」というよろしくない行動の意味で遣われていました。しかし、少しずつ「自分の意思を通す強さ」に意味が変化し、現在の「我慢」へとなっていったそうです。
  「自惚れる」ためには「他人と自分を比べる」ことが必要です。他より優れていると感じるから自惚れるのであって、比べなければそもそも自惚れは起きません。そう考えると、他と比べて自分が辛い思いをしていると考えるから現在の意味で遣われる「我慢」を感じ、苦しくなるのでは、という考え方もできると思います。「他人と比べる」のではなく、「他人を思いやる」姿勢が今求められているのではないでしょうか。
  5月の徳目は「持戒和合(じかいわごう)」「きまりを守り、集団生活を楽しもう」です。先の見えない状態で、守るべききまりがあるとすればそれは「周囲を思いやること」これに尽きると思います。今の世の中「(つまらないけど)家から出ない」という我慢をするのか、「(楽しみを見つけながら)家にいる」という行動をとるのか、同じことでも捉え方で気持ちは大きく変化します。そしてそれは周囲への思いやりにもつながります。「我慢」ではない「配慮」を心がけ過ごしてみたいものです。
  とある番組の家での過ごし方特集で、「カードに書かれている漢字を組み合わせ、かっこよく聞こえるカンフーの奥義名を作った人が勝ち」というカードゲームが紹介されていました。「欲しいなぁ」という息子たちに対し、「自分たちでかっこいい漢字を探して作った方がもっとゲームが楽しくなるんじゃない?」と声をかけたところ、「いいね!」と辞典を開き始めました。決してお金を使うことを「我慢」しているのではなく、子どもたちの学びにもつながるのではという「配慮」です、という一種の自惚れです。(2020.5)

ともいき

2020/04/09
  ここ最近の新型コロナウイルスの影響を受け、周囲のことを考えた行動について議論されることが増えているように感じます。ところで、相手を思うにはどんなことが必要でしょうか。まずは相手の言葉に耳を傾けることなのではないかと感じます。近年の幼児教育は大人が子どもの思いに耳を傾けることを大切にしています。もちろんとても重要なことではありますが、同時に、自分の思いを一度留め、周囲に耳を傾ける機会を作ることもまた大事なことなのではと感じます。単に子どもの思いを大人が受け止めるだけではなく、子どもたち自身も、周囲に思いを馳せる経験ができる保育を目指していきたいものです。
  さて、4月の徳目(より良く生きるための基本となるもの)は「合掌(がつしよう)聞法(もんぽう)」「敬う心をもって人の話を聞こう」という意味です。周囲はどんな思いでいるのかと他人に寄り添うこともまた合掌聞法の一つであると考えます。「過去や未来を含めたすべてのいのちの切れ目なく延々と続く繋がりを大切に」とする仏教の考え方を「共生(ともいき)」といいます。今こそ互いに支え合うこと、自分の権利を主張する前に周囲のことを思いやる「ともいき」を考えていきたいものです。
  こんな時だからこそ、クスッと笑える内容にしたかったのですが、心に余裕がなく全く面白いことが思い浮かばないので、むしろ寄り添ってアイディアを教えてほしいくらいの私です…(2020.4)

人生を豊かにするもの

2020/04/09
 「人の人生を豊かにするもんはなんや。人を思うことや。自分以外の誰かの人生を思うことや。寄り添うこと思いやること時には背負ったりすることや。誰かの人生を思うことで自分の人生も豊かになるんやで。」現在放送中のドラマ「スカーレット」における、とある登場人物のセリフです。最近のドラマで、録画してでも見たいものの一つであり、まだあと1ヶ月近く放映されますが、このドラマのテーマだったのではないかと感じるほど、考えさせられるセリフでした。
  3月の徳目は「智慧希望(ちえきぼう)」「希望をもち、楽しく暮らそう」という意味です。「智恵」とは仏教用語であり、「知恵」とは意味合いが違います。「智慧」は「目に見えるものを踏まえ、その向こう側や奥に想いを馳せる」こと、「知恵」は「経験等によって得た知識やそれを踏まえた能力」を表します。つまり「智慧」は他人のことを深く考え配慮することも含まれていると考えます。互いに労り合うから希望が生まれ楽しく暮らせるのではないでしょうか。
  ここ最近は先が不透明で、不安を抱くことも多くあります。しかし、こんな時だからこそ、みんなで智慧を出し合い、協力することでこの状況を打破することが大切ですし、私たち大人の真価が問われる時なのだと思います。
  年度末に落ち着かない日々が続きますが、そんな時にこの徳目が巡ってくることに有り難さを覚えます。互いに支え合いこの困難を乗り越え、希望に満ちる4月を迎えたいものです。(2020.3)

ならぬことはならぬものです

2020/02/01
 「叱らず、許さず」
  とある子育てに関する書類に書いてあった言葉です。非常に印象深い言葉で考えさせられるものがありました。
  子どもがその場にふさわしくない行動を取るとき、その場ですぐに諭そうとしてしまうことがあります。しかし、そもそも場にふさわしくない行動を取るときの子どもは、興奮していたり、気持ちが不安定だったりと、話を冷静に聞ける状態ではないことが多いものです。そんな時に言葉で伝えようとしても、逆に興奮や不安を増長させる刺激になりかねません。また、諭す側も自分の想いを伝えたことで満足し、本来の目的である「その場に応じた行動をするように促す」ことが達成されないままになってしまうことがあります。言葉ではなく、毅然とした態度で落ち着くまで待ち、どんなに意固地になっても許されないことを経験として積み重ねると、子どもが気持ちを切り替える時間も少しずつ早まります。まずは理屈より「ダメなものはダメ」と毅然とした態度で伝え、冷静になるまで待ち、落ち着いてからどうすべきなのかを諭したり、自ら考えさせたりすることもまた必要なのだと思います。
  さて、2月の徳目は「禅定静寂(ぜんじょうせいじゃく)」、「よく考え、落ち着いた暮らしをしよう」です。落ち着いた暮らしをするためには、よく考える必要がありますが、よく考えるためにはまた、落ち着いた状態でなくてはなりません。時間を空け、頃合いを見計らう時間というものを考えてみるのもいかかでしょうか。
  と、思いついた勢いで書いてみました。(2020.2)

故郷

2020/01/04
「ツッコミ…漫才における役割の一つで、「ボケ」の間違いを素早く指摘する。」様々な辞書等を総合すると、おおよそこのように記されています。ツッコミの役割は今まで「指摘する」ことが主であり、大げさにしてみたり、例えを交えてみたりと、指摘の仕方に様々な工夫がなされツッコミが進化してきました。その指摘の仕方も大方出尽くしたのではないかと思われたところ、「ノリツッこまない」という新たなツッコミをしたお笑いコンビが先日のM-1グランプリで一躍注目を浴びました。
  相方のボケに対し、指摘したり否定するのではなく、理解を示し受け入れるツッコミに会場は大盛り上がり。決勝ではさらにその面白さが増していました。そして、この「ノリツッこまない」は斬新さだけでなく、「優しさを感じるし、応援したくなる」「人を傷つけない笑いに好感が持てる」「今の時代にマッチしている」といった声もネットに書き込まれるほど話題となりました。匿名性が高いが故に辛辣な言葉が飛び交うネット上で、「ノリツッこまない」が笑いを越えたテーマになることに考えさせられるものがあります。
  さて、1月の徳目は「和顔愛語(わげんあいご)」、「柔らかい顔で、優しい言葉を」です。「心を亡くすと書いて『忙しい』」とよく耳にしますが、いわゆる「炎上」が頻繁に起こる忙しい現代において、「柔らかい顔で、優しい言葉を」は多くの人が本当は求めているものなのかもしれません。心に余裕が無くなりそうなときこそ、一度立ち止まり互いに意識していきたいものです。
  「間違いは故郷だ…誰にでもある」心に留めておきたい、今回の漫才で出た「ノリツッこまない」です。上手く締められず、「時を戻そう」と言いたい気持ちでいっぱいですが、温かい目で読んで頂けたら幸いです…良いお年を。(2020.1)

あと少し

2019/11/30
 「同期のサクラ」というドラマを毎週見ています。真っ直ぐすぎてマイペースな主人公の北野サクラ。決して忖度も妥協もしない彼女の言動に、当初は振り回され困惑していた同期の仲間も、次第に心を動かされていくというストーリーです。サクラ自身も真っ直ぐすぎるが故にトラブルとなり悩むのですが、その都度じいちゃんのアドバイスにより乗り越えていきます。「自分にしかできないことがある」「大人になるとは自分の弱さを認めることだ」「本気で叱ってくれるのが本当の友だ」「辛いときこそ自分の長所を見失うな」「大切なのは『勝ち』より『価値』だ」等、苦しいときに勇気をもらえる言葉ばかりで胸に刺さります。
  12月の徳目は「忍辱持久(にんにくじきゅう)」、「根気強く取り組もう」です。 「苦しみは山頂の一歩手前」 とある三つ星シェフの方の言葉だそうですが、根気強く取り組むことは時に苦しい場面もやってきます。そんな時、例え一度足を止めたとしても、諦めずもうひと踏ん張りすることで素晴らしい景色が見られるのかもしれません。いよいよ「師走」に入り、年末業務で忙しい時期に入られる方も多いことかと思います。苦しい時はどうしてもネガティブな思考になりがちですが、どうぞじいちゃんのアドバイスと三つ星シェフの方の言葉を胸に、この師走を乗り切って、素敵な年末年始を迎えて頂きたいと思います。
  ドラマが少しネガティブな方向に進んでいるため、何とかハッピーエンドになってもらいたくポジティブな内容を…と、忙しさに目を覆い、ドラマに現実逃避している私です…。(2019.12)

初心忘るべからず

2019/11/30
  「集まり散じて人は変われど 仰ぐは同じき理想の光」私の母校である大学校歌の一節です。「集まった者がそれぞれの進路に向かい進んでいっても、目指すものは同じ理想である。」といった意味です。
  先日、大学剣道部のOB会に参加する機会があり、母校の大学剣道部のことを考える機会がありました。私の所属した大学の剣道部は当時様々な境遇の部員がいました。高校時代にインターハイに出場した者はもちろん、浪人をしてしばらく剣道から離れていた者、私のように特に戦績のない者。そして、私の同期には大学から剣道を始めた者もいました。そんな様々な人間が集まっていた上に、先輩が後輩の面倒をしっかりと見る繋がりも母校の剣道部にはありました。大会では、部員の大部分がスカウトやスポーツ推薦で構成される大学にも引けを取らない成績を収めていましたが、それは、様々な環境から集まった者たちがそれぞれの考え方を持ち、学年の垣根を越えて互いを認め合いながら同じ方向を見ていたからではないかと感じています。そんな土壌があったからこそ、先述の校歌の一節がOB会に参加することで改めて噛みしめることが出来たのだと思います。当時の懐かしい思いと、「仲間や周りのために」という大きな目標の下、それぞれの場所で自分のやるべきことにひたむきに向き合う同期や先輩に再開する事で、私自身も気持ちを新たにできるいい機会となりました。
  さて、11月の徳目は「精進努力(しょうじんどりょく)」、「最後までやり遂げよう」です。「最後までやり遂げる」と聞くと、ゴールまでやりきるといったイメージをもってしまいがちですが、ゴールのないものも世の中には数多くあります。 大事なことは初心を忘れず、そして最初に抱いていた想いをより洗練させながら続ける事なのかもしれません。
  1つの仕事を進めていても、気分転換にと途中で別な仕事に手をつけてしまい、結局どちらも中途半端な結果になる事がよくある、この文章の出来のようにまだまだ精進の足りない半人前です…(2019.11)

One for all All for one

2019/11/30
 日本初開催のラグビーのワールドカップが先日開幕しました。いわゆる「にわか」の私ではありますが、直前まで放送されていたラグビーのドラマで得た熱量そのままに、日本以外の試合もちょこちょこ観戦しています。そんな中、このワールドカップにおいてお辞儀とロッカールームの掃除の輪が広がっているという二ユースを見かけました。これまで、様々なスポーツで日本チームが行っているお辞儀やロッカールームの掃除が称賛され、いくつかのチームで実践したという記事は何度か見たことはありますが、大会全体的に広がりを見せているのは初めてではないかと思います。
  近年、言葉そのものは日本だけが使っていますが、ラグビーには「ノーサイド(敵も味方も関係ない)」の精神が根付いています。例えば、試合後に両チームで親睦会を開いたり、試合中負傷した選手が退場する際にはこれまでの健闘を称え、敵味方関係なく観客全体で労いの拍手で送り出したり。他のスポーツにはあまり見られない光景です。チーム同士、選手と観客、それぞれの立場でみんなが互いを思いやり、ラグビーを盛り上げようとする姿勢には見習うべきものがあります。
  10月の徳目は「同時協力(どうじきょうりょく)」、「お互いに助け合おう」ということです。互いに助け合うためにはまず、互いに相手を気に掛ける必要があると思います。相手のことを思いやるからこそ、力を貸そうとする気持ちが芽生えてくるのではないでしょうか。
  4年に1度、10月前後に行われるこの大会。徳目の内容とピッタリで、4年前もこの大会に絡めた内容を載せました。いっそのこと毎年やってくれないかなと、自分都合で他力本願なことを考えている今日この頃です。(2019.10)

映える→調和する

2019/08/31
  先日、J-CASTニュースというネットニュースサイトに「インスタ映え?撮影→8割食べ残しの非常識客 被害のジビエ料理店は『出禁』をきめた」という記事が載っていました。「写真撮影やネットへの投稿自体は全く問題はないのだが、写真のためだけに注文をして、ほとんど手をつけずに残すのは非常に悲しい。お金を払ったらインスタ映えの為に料理を大量に残しても構わないと思っている方々はご遠慮下さい。命をもらってその肉で生計を立てる者として、こんなに悲しいことはありません。」とネットに投稿した店主の想いが記事となっていました。それに対し、様々な意見が寄せられたようですが、その中でこのような反応があったそうです。「張り紙で、残すの禁止と書いていない以上、その人達の行動に問題はないと思います。ただ考え方はとても大好きです。」私は、前半部分の内容に少し考えるところがありました。マナーもルールも根底は、みんなが気持ちよく生活することを目的としているはずです。そして、マナーの曖昧な部分や基本的な部分を明確にし、より解りやすく守るために設けられたものがルールなのではと思います。そう考えると、マナーを無視すること自体「行動に問題がない」とは言えないのではないかと感じます。
  9月の徳目は「報恩感謝(ほうおんかんしゃ)」「あらゆることをありがたく感じよう」ということです。上記の件は、頂く命、そして料理が出来るまでに関わった方への感謝、つまり「いただきます」と「ごちそうさま」の意味を身にしみて感じていれば起こらなかったことではないでしょうか。マナーとは周りへの気配り、つまり周囲と繋がっていられる、支えられている事への感謝を行動に表したものだと私は考えます。改めて、謙虚でいる事の重要さを考えさせられるニュースでした。
  せっかくの「インスタ映え」が「インスタ蠅」と揶揄されないように気を付けたいものです。と、今回の画像に使うために、インスタ映えしそうなジビエ料理を一生懸命ネット検索しました…(2019.9)

仲良く

2019/08/23
 「『よろこんであたえる人間となろう』─ものがあればものを ちからがあればちからを ちしきがあればちしきを みんなにあたえよう なければ自分のなかに そだてて あたえよう 花は美しさをおしまず 小鳥は たのしい歌をおしまない だれにでもあたえている あたえるとき 人は ゆたかになりおしむとき いのちは まずしくなる よろこんで あたえる人間となろう─」
  これは浄土宗に制定されている「六つのねがい」のひとつです。この中で私が目を惹かれたのは、「なければ 自分のなかにそだてて あたえよう」「あたえるとき 人は ゆたかになる」という箇所です。難しいことではありますが、心に留めておきたいものです。
  8月の徳目は「自利利他(じりりた)」「自分を高め人に尽くそう」です。上記の文章はまさに自利利他を表しているように感じます。自分を高めることは自分の為、つまり「自利」です。一方で、その高めたものを周りに振り向けることは「利他」ではありますが、それは自分の心を豊かにし、与えたものは回り回って必ず自分へ還ってくる「自利」にもなります。明照の保育目標「仲良く」にはそのような自利利他の想いも込められていると思います。今の世の中は個を大切にすることが重要になっており、もちろんとても大事なことです。但し、根底に「自分たちは周りに生かされている」という謙虚な想いがなければ、「個の尊重」は「自分さえ良ければ良い」にすり替わってしまいかねません。子どもたちの自主性を育てながら、それぞれが培った力を周りに振り分ける協調性も大事に取り組んでまいります。
  この話はどうぞ自分だけに留めず、「テープを回して」でも他の方にもお伝え下さい。(2019.8)

攻める親切

2019/08/23
 「障害者の側に立って、味方になってくれている人たち、要するに家族や福祉や介護関係、ボランティアの人たちなどが、障害者に理解のない人たちから我々を守ろう、少しでも社会に参加させようと過剰に振る舞い、結果的に社会と我々とを隔絶させてしまっているのをまま目にする」ホーキング青山という肢体不自由のお笑い芸人さんの言葉です。この言葉を聞いたときにハッとさせられました。「過剰」な想いが時としてマイナスに働いてしまうこともあります。そしてそれは、子育てでも同じようなことが言えるのではないかと考えさせられました。
  「除菌」「抗菌」という言葉を様々な場面で耳にすることが多くなり、周りで子どもたちを菌から守る意識がここ数年非常に高まっていると感じます。ある一定は必要なことでありますが、子どもたち自身の免疫力を高める手立ても同時に考えていかなくてはなりません。また、子どもたちが誰でも安全で安心して遊べる環境を整えるため、屋外遊具がシンプルで遊びやすいものへと変わりつつあります。もちろん、そのような視点も大事なことであります。しかし、自分は今どのくらいのことができ、どこまでが安全で、どこからが危険なのか、子どもたち各々が判断する力もまた必要なことだと考えます。守ろうとする善意や、誰もが同じようにという配慮は、度を過ぎると、子どもたちの成長の妨げになってしまうものかもしれません。
  「今月の徳目は「布施奉仕(ふせほうし)」「誰にでも親切にしよう」ということです。世間一般的に弱い立場とされる人へは手を差し伸べ、守ることを考えがちですが、相手の為になるかどうかが親切には重要であり、場合によっては「守らない」ことが親切になることもあるのだと思います。
  題名がイマイチ解りづらいですが、触れないこともまた親切です。(2019.7)