青森県上北郡七戸町字町7-2
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2019/02/18
 先日のみたままつりにはたくさんのご家族がお集まり頂き、本当にありがとうございます。事前準備や当日の運営には、保護者の会、おやじの会の皆様からのご協力もあり無事終えることができました。そして、ご先祖様をご供養するおつとめでも、多くの方が手を合わせて一緒に拝んで下さったことで、より意義深いみたままつりになったと思います。
  ところで、今回のおつとめの締めくくりに、私が「同称十念(どうしようじゅうねん)」と称えると、園児、職員みんなで「南無阿弥陀仏~」とお念仏を称え始めたので、驚かれた方がいらっしゃったかも知れません。もともと「南無(なむ)」とは昔のインドの言葉「ナマス」が変化したもので、「お辞儀する」という様子を表していました。お辞儀する行為は相手を敬っているからであり、そこから「帰依する、お任せする」という意味になりました。つまり、「南無」には謙虚な想いが込められています。情報や物に溢れ、目に見えるものしか認められない、自分さえ良ければよいという物騒な世の中になりつつある今こそ、のの様のような目に見えない存在に対しても謙虚で、今の自分があるのはご先祖様からずっと繋がってきた命があるからからだと感謝の思いをもつ機会を大切にしたく、手を合わせる機会と共にお念仏を称えています。どうぞご理解頂けたらと思います。
  9月の徳目は「報恩感謝(ほうおんかんしゃ)」「あらゆることをありがたく感じよう」ということです。行事の後におやじの会の皆様と一献を傾けながら、互いに労い合える機会を設けて頂けること、そして特に、快く親睦会に送り出して下さるご家庭の皆様に感謝申し上げます。(2017.9)

口癖

2018/11/15
  教員をしていた頃、クラス対抗でゲームをしました。その内容は、一つのお題に対し学級担任とクラスの代表者がそれぞれ答え、互いに合っていればポイントというものです。そのお題の一つに「学級担任の口癖は?」というものがありました。私は、できるだけ生徒達に感謝の言葉を遣うようにしようと心がけていたつもりだったので「ありがとう」と答えました。しかし生徒の答えは「はい」でした。私はよく、話し始める時や話題を変える時に「はい、それでは~」といった具合に遣っていたそうです。代表生徒の答えに対し生徒達はそうだそうだとうなずいて大盛り上がり。一方、私の書いた答えには、先生は何を言っているんだ?と言わんばかりにキョトンとしていました。意識しているつもりでも、「ありがとう」という言葉は他の言葉に比べれば圧倒的に遣っていないのだなと実感する機会でした。
  9月の徳目は「報恩感謝(ほうおんかんしゃ)」「あらゆることをありがたく感じよう」ということです。日本人は口癖で、誰かを呼びかける際にも「すみません」と言います。しかし、それをそのまま英訳し、海外で「ソーリー」と言うと「何を謝罪することがあるのだ」と怪訝な顔をされます。日本人の謙虚な姿勢がネガティブな形で出てしまう部分であると思います。普段の生活でも「お手数おかけして、すみません」「ごめんね、手伝わせて」と遣いたくなってしまう場面が多くありますが、「ありがとうございます」「ありがとう」とポジティブな受け答えができれば、もっと豊かな人間関係が構築できるのではないかと思います。「あやまる」は漢字で「謝る」ですが、「謝」は、漢字が伝わってきた中国の「謝謝(シエシエ)」からも読み取れるように、そもそもは「ありがとう」の意味を持っています。私たち大人がもっと「ありがとう」の言葉を、子どもたちにはもちろん、周りの人たちにそれこそ口癖になるくらい意識的に用いることが大切なのかもしれません。
  妻に、「いつも呑みに出してくれてありがとう」と伝えようと思います。(2016.9)

世間

2018/07/28
 とあるドラマの登場人物が「世間様」と話すシーンがありました。最近はあまり耳にしない言葉であったので印象に残っていたのですが、よくよく考えると本当に謙虚な気持ちがないと出てこない言葉だなと思いました。周りのお陰で自分がいる、その想いが「世間」に「様」を付ける姿勢に繋がっているのだと感じます。

 一方「ありがとう」という言葉は普段耳にする機会が多くあります。元々、ありがとうの語源である「有難(ありがた)し」という言葉は「滅多にない」という意味で遣われていました。つまり、「滅多にないことをしてくれた」という感謝の気持ちが「ありがとう」には込められています。どんなに些細なことも滅多にないことと捉え、「ありがとう」と伝える。普段何気なく使っている言葉ではありますが、込められた想いを改めて考えてみたいものです。
  9月の徳目は「報恩感謝(ほうおんかんしゃ)」「あらゆることをありがたく感じよう」ということです。剣道には「打たれて感謝」という言葉があります。負けて悔しいと思うのではなく、自分の改善点を教えてくれて有り難うと思う心が大切であると、この言葉は教えています。自分の改善点を指摘されることは時に非常につらいこともあります。しかし、謙虚な気持ちでそれを受けとめ、次に活かすことが大切なのだと改めて感じました。正に、「世間様」のお陰で自分がいるのです。
  私自身、まだまだ未熟な部分が多々あるかと思いますが、明照がよりよい園になるため、皆様のご指導ご鞭撻の程よろしくお願いします。
  でも、結構打たれ弱いガラスのハートなので優しくアドバイスして下さいね♥(2015.9)

「おめでとう」と「ありがとう」

2018/05/16
 『ハッピーバースデイ お母さんに「ありがとう。」(モチロンお父さんもありがとう。)あなたが生まれた1/365は、「おめでとう」を、待つよりも「ありがとう。」をおくってほしい。あたなが生きているキセキが、スバラシすぎるから』
  上記の詩は、ナカムラミツルという詩人のものです。私が大学生時代に出会った詩ですが、この詩に出会うまで誕生日は「祝ってもらう日」と捉え、「自分自身から感謝する」といった視点で考えた事がなかったので、ドキッとさせられたことを覚えています。
  本園では、各月の誕生会で「園長先生からのお話」があります。その際に、「自分が生まれた日はどんな日だったか、家族の人に聞いてみましょう。そして、生んでくれたお母さんやお父さん、大事にしてくれるおじいちゃんやおばあちゃん、いつもみんなを見守っていてくれる阿弥陀様にありがとうと言ってみましょう。」と伝えています。
  9月の徳目は「報恩感謝(ほうおんかんしゃ)」、「つつましい心で社会や自然に接する心を育てよう」ということです。感謝を表す「ありがとう」は漢字で「有難う」と書き、元々は「有る事が難しい」つまり「滅多にない、貴重だ」という意味です。自分がこの世に生を受けることは、奇跡のような確率であり、正に「有難い」事です。お子様が生まれた日はどんな日であったか、誕生日の機会にご家族でお話しするのも、素敵なプレゼントになるのではないでしょうか。自分がどれだけ愛されているのかを、感じることが出来ることと思います。そして、ご先祖様からの命のつながりがあって今の自分が存在し、家族や周りにいる人達に支えてもらいながら生きていることに気づいた時に、本当の感謝の心が育っていくと考えます。
  この9月号を書いている私は、思えば誕生月が…。一応ご報告致します。(2014.9)